母の介護始まる その2

実家問題
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前回は、コロナ禍の中、母が脳梗塞で入院してから、紆余曲折を経て自宅介護を選択し、退院の日を迎えたところまで書きました。今回はそのつづきです。

母を迎えるためにやること

退院予定日12/8前後の合計2週間を私は休み頂けました。職場スタッフに感謝感謝です。

私が帰省してから毎日買い物、買い物。挙げればきりがないのですが、大きなものとしては、カーテンと空気清浄機です。我が家はカーテンさえも、いえ、カーテンレールさえもない家だったのです。

リビングを介護の部屋に決めたので、寒さ対策でカーテンを取り付けることにしました。サイズを測ったり、カーテンレールを取り付けられる壁か入念に確認したり。柄は私に任せてくれたので、部屋が明るくなる素敵なカーテンを選びました。

退院前日には空気清浄機がいると父が言うので、私はもう疲れ切ってたのですが、父は次から次へと『あれが足らん、これがいる』などなど、すべて『お母さんのため』と言って、あれこれ指図してきます。ある意味すごい物欲です。こちらは、『出来るだけ物は増やさず、シンプルに暮らす』と思っているのに、実家は物が溢れかえっています。

日頃ろくな食事をしていない父や兄、近くに住む息子のために、美味しい食事も作ってあげたいし、大掃除も合間合間にしなければならないし、一週間、目まぐるしくあっという間でした。

前日までにケアマネさんや介護用品の担当者さんと綿密に打ち合わせして、当日の段取りはたぶん完璧。

いよいよ帰ってきた

なんか、いよいよだと思うと、緊張します。

母が到着して車いすでリビングに連れてきてもらうと、なんか困惑したような表情でした。4か月以上、ボーっと寝るだけの日々だったので、家に帰ってきたのは理解してましたが、部屋があまりに変わっていたので驚いて、困って、でも、はにかんだような顔でした。

そして、ケアマネさんや訪問介護士さんや、介護用品の会社の方、お医者様や看護師さんなどと、これからの話をいろいろ・・・・

お医者様が、『こんなにみんなを巻き込んで、お父さんが『在宅介護』という方向に舵を切ったわけやけど、子供さんらは覚悟できてる?並大抵のことやないよ。どこまでやれるん?』みたいなことを言われました。

『えっ? そんなに大変なん? みんなを巻き込んでって、お医者さんでも無理やって思ってるってこと? やっぱりお父さんがみんなの反対を押し切って、無理なことをしてるん?』

という気になり、何も返答できませんでした。心の中にざらりとしたものが渦巻いて、母の退院の喜びより不安の方が大きくなりました。

ちょっと、ぴりつく場面でしたが、皆さんの助けを借りながら徐々に慣れて行くしかありません。

父は、大丈夫や。何とかなる。の精神の人なので、そんなに気にしてなかったみたいです。

寝たきりの人の食事

母はもう自力で食べ物を飲み込むことが出来ないくらいに喉が弱っていて、鼻から管を胃まで通してそこにエンシュアリキッドという栄養剤を一日二回、点滴のように入れるだけです。口から物を食べるということは誤嚥性肺炎の恐れから、もっと徐々に飲み込む訓練して様子見ながらということでした。

それなのに、人がたくさん来てたので、どさくさに紛れて、父が母にチョコレートをほんの少しかじらせてたみたいです。

翌日それを知った私は、ちょっと父を怒ってしまい、母を挟んで父と口論になりました。母は自分のために言い争ってるのが嫌で、出ない声を振り絞って『もういい、もう何にも食べへん』と言いました。

介護士さんも『お父さん、食べさせたい気持ちはすごい分かるけど、器官に入ったら大変なことになるから、そういうことは私らがするから』と言われました。

とにかく、父の『食べさせてあげたい』という気持ちが強く、先走って介護用スプーンやお皿等々考えつくものすべて買い揃えていたのですが、今のところ日の目を見たことはありません。

母もあの時は、もう何も食べない、と言ってたけれど、数日間はほんのふた匙くらいの介護用ゼリーを口に含んで飲み込む訓練をしていました。

けれど、食べる気力がまったく湧かないみたいで、それっきり、口から何かを食べることはありませんでした。

恐怖のおむつ替え

私は退院から1週間おりましたが、朝昼夕と介護士さんが来てくれるので、基本的にすることはなかったです。難関のおむつ替えは、介護士さんの見よう見まねでなんとかやりました。

後遺症で母は左側が動かない上に、長らく寝たきりのため、右側もほぼ硬直しており、曲げ伸ばしできません。触ったりしたらとても痛いらしく、おむつは赤ちゃんのように足をグイっと持ち上げるなんて出来ないので、右へ左へ体を傾けて替えるのですが、とにかく痛がる痛がる。

『痛あーい、もうやめて、もうやめてぇ(怒)』って感じです。声は出ないけど。

それでも、尿だけなら内側一枚目だけを(おむつはなんとサイズいろいろ4枚重ねてます)替えればいいですが、便の時は大変でした。

汚れが残ってたら皮膚がただれたりするので、きれいに石鹼で洗って、お湯で流して、拭いて、4枚のおむつをセットして、体をあっちへこっちへ傾けて、きちんと当てなければなりません。そしてパジャマのズボンを上げるのです。母は容赦なしに痛がります。無理です(笑)

初日から3日間は夜中に父から呼び出し電話を受け、頭がぼうっとする中おむつ替えの手伝いです。一度、大量のべちゃべちゃの便で、これには参りました。こんなこと父一人で毎晩出来るわけありません。不安しかありません。今は私がいて手伝えるけど私が帰ったら・・・・

この時の声を次兄も聞いてたのでしょう、翌日はおむつ替えの時、手伝いに来てくれました。母には申し訳ないけど、兄にも手伝ってもらうしかないのです。

父には、私がいる間だけでも、私がリビングで寝るから、父は寝室で寝てと言いましたが、

『いや、ええ、ええ、わしがそばで寝る』

と言って聞いてくれませんでした。私への遠慮なのか母への愛なのか・・・・

とにかく、寝不足で頭がくらくらしてきてて、私は

『あと、3日、あと2日、ああ、明日には帰れる』

と思ってしまってました。私は帰れるけど、父はこの先ずっと母のそばにいて介護は続きます。

もう、心配で心配で、『絶対に父が倒れる』と思ってたのですが、今日現在、なんとか父は元気に頑張っています。

ひと月もすると、みんながリズムを掴んで要領を得、週2回、施設でのお風呂の前に浣腸をして便を出すことで、家で便のおむつを替えることはなくなったそうです。

それでもなんとかなる

母の容態は、痛みに関しては、2週間に一回、痛み止めの注射を打ってもらうことによってだいぶ和らいでるみたいで、おむつ替えを痛がることは随分減りました。

ただ、だんだんと衰えてきているのは確かで、栄養剤は日に1回だけになっています。3,4か月前あたりから、吐くことが増えたためです。

介護士さんも一日2回になり、お風呂へ入れてもらうために施設へ行くのも週一回となってしまってます。とにかく行くのを嫌がり、その日の朝は毎回『今日は頭痛いから休む』と言うそうです。わが息子と同じことを言ってますね(*´з`)

こうして、母を家で看る日々が一年以上続いています。この一年、月1回4日間づつ帰省してますが、リズムが整っているので私が母のお世話をするってことは特にないです。

せめて母とおしゃべり出来たらいいのですが、どうしても母が言ってることを聞き取れず、聞き返してばかりしているうちに、母はもう話すことも諦めてしまい、ただただ、ぼうっとテレビを見ています。父も一生懸命話しかけているようですが、頷くだけみたいです。

父の頑張りと兄たち

次兄は休みの日は掃除をしてくれておりますが、長兄はなにもできず、洗濯も父がやっているのです。情けない話ですが、これが我が家の現状です。

父たちの栄養面はかなり心配ですが、台所に立ったこともなかったような父が、ご飯を炊いたり、お味噌汁を作ったり、たまに煮物を炊いたり野菜炒めを作ったりしてるようです。栄養のためと言って、冷蔵庫にある野菜なんでも入れるのではっきり言ってまずいです。長兄は何も言わず食べてるようですが、次兄は食べないみたいです。

私が帰って、まず冷蔵庫チェックしますが、古くなった野菜と期限切れの食材ばかり。男3人、それぞれの思惑と葛藤の日々です。

父が倒れたり、居なくなったらと思うと恐ろしいことです。私たち兄弟で何ができるのか、話し合いなんてしたこともないし、ずっと避け続けてきた問題が現実味を帯びて近づいています。

それでも、いつまでこの平和が続けばいいと思っていましたが、とうとう、我が家にも恐れていたことが起こりました。母のコロナ感染です。2月22日のことです。

                                           つづく

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