母の介護始まる その1

実家問題
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実家問題、書くのに勇気がいります。考えることを拒絶してしまう私の脳。でも、絶対に逃げられない問題です。母が寝たきり要介護5になるまでを綴っていきます。

コロナ禍の中

腰椎圧迫骨折から一年半ほどだったでしょうか。母はシルバーカー(手押し車みたいなもの)を押して、父に介助されながらも、買い物に行けるようになっていました。自宅からスーパーまで3分かからないくらいの距離ですが。

週二回デイケアサービスに通い、要支援2から1へ変更になるくらい回復していました。

そんな時、2020年3月頃からコロナが流行しだしました。

その頃、長男が大学進学のため、一人暮らしすることになり、実家まで自転車で15分ほどの距離に住むことになりました。私は長男のことも実家のことも心配だったのですが、これで少し安心していました。コロナのせいで長男も何も楽しいことはなく、大学へもまったく通うこともできなかったので、たまに、おじいちゃんの家に行き、ごちそうになることはしてたようです。

とはいっても、母はもう台所にほとんど立てないので、買ってきたお惣菜やお寿司だったみたいですが、それでも私は長男が実家に顔を出してくれることで安心しきっていました。

そんなコロナ禍の中、私の仕事のシフトが減り、収入面を心配していたら、ちょうど知り合いから公文の丸付けのバイトを頼まれ、扶養の範囲を超えない程度ならということで、掛け持ちで働くことに決めました。

母、脳梗塞になる

7月から掛け持ちバイトを始めた直後のある日、母が脳梗塞で入院したと連絡がありました。

前兆はあったみたいです。入院する数日前に、夜中3時頃に起きて、リビングの雨戸を開けだし、父もびっくりして、『何やってるんや?ボケてきたんか?』ということで笑っていたそうです。そして、その2日後くらいに、夕飯の後、お茶を口からこぼしたり、よだれを出していることに本人は気づかなかったり、なんかおかしかったそうです。

そして、偶然私もその夜に電話して母と喋ったのですが、なんか声がおかしくて、『どうしたん?風邪か?』と聞いたら、『いや、なんか喉が詰まる感じするだけ』っていう返事だったので、そんなもんかとまったく気にしませんでした。

父はその夜に、『なんかおかしいで、明日日曜日やからあさって病院行こ』と言ったそうです。

そして、市の大きな病院で検査をしたら脳梗塞だと言われ、即入院。生死を彷徨うとかではなかったけれど、父によると、お医者様から、脳の手術をしたら治るかもしれないし、寝たきりになるかもしれないし、どうするか?というようなお話で、父はそんなん絶対信じない、えらい目にあうかもしれんから手術はしない、脳梗塞の手術で寝たきりになった知り合いがいると言って、薬で何とかしてくれ、的な話をしたそうです。

手術しないならこの病院ではすることはない、リハビリの病院に転院してください、ということになり、一旦はリハビリ病院に転院したのですが、今度はそこで何があったのかはわからないのですが、血尿が激しくまた元の病院へ移されました。

その連絡を受けて、父もだいぶヤバいと思ったらしく、今のうちに会いに来た方が良いと私に言いました。

急遽一日だけ休みをもらい、朝一の特急で向かいました。

コロナ禍なので面会は15分しかだめだったのですが、母のベッドの脇に尿を貯める袋がぶら下がっており、すごい量の血尿で、私はかなり動揺し、『お母さんっ』と言うのが精一杯でした。

血尿の原因はわからないのですが、膀胱炎かもということです。意識はあるのですが細い腕にいくつも点滴の跡があり、もう、針が刺さらないとかで、足の甲に点滴の針が刺さってました。もう辛くて私はぐずぐずと泣いてしまってたのですが、看護師さんは粛々と処置したり、事務的なことをあれこれ父に言ってました。

でもそれも仕方ないのです。面会時間が限られているのと、コロナを受け入れている病院なのできっととにかく忙しいんでしょう。泣いてる私のことを邪魔だと思ってたかもしれません。

こんな時期に母がこんなことになるなんて、『もう、いっつも、大丈夫って言ってたやないの! なんでこんなことになるのよ、お母さん(T_T)』という思いでいっぱいです。母を責めることなんてあるはずないのに、泣きながら私はそんなことを考えていました。

それでも、今どうこうというわけではなかったので、母に『がんばって!また来るから』というのが精一杯でした。

父の思い

父の病院への不信感は根強く、脳梗塞を治してくれないこの病院、膀胱炎を引き起こしたリハビリ病院、等々父の不満を聞いていると、どうしてもイライラしてしまい、『そんなこと言ってもしょうがないやん。なら、どこの病院行くの?どこが受け入れてくれるの?手術せんって決めたのはお父さんやん!!』と私もついきつく父に言ってしまうのです。

父のせいにしたくはないのに、文句ばかり言ってる父といるのは疲れます。私しか愚痴を言える相手はいません。今までは母が父の愚痴・不平不満を一手に聞いていたのです。兄たちはあまり父と会話しないし、私も実家に居た頃は、そんな父から逃げていました。

私は一日だけ実家に泊まって、悶々としながら家路に着きました。

結局3日ほどで血尿は治まり、また、リハビリ病院へ移されました。もう左半身マヒが出て硬直も始まってました。リハビリは辛くとても痛いようです。母に気力もなく体は固まる一方です。

お見舞いも三日に一度しか許されず、誰とも話さず、ただぼうっと窓の外を見るだけの4か月でした。母は後遺症で言葉をほとんど発せなくなっており、かすれ声で何か言うのですが、どんなに耳を近づけても聞き取れず、おしゃべりな母がおしゃべりできないのが父は歯がゆく辛かったようです。食欲もまったくなく、どろどろの食事を食べさせてもらってたみたいですが、飲み込むこともままならず、自分でスプーンを持つことも、自力で座ることも出来なくなっていきました。

父もあれこれ思うことはあるのに、コロナ禍がひどくなり、とうとう病院の玄関先で洗濯物の受け渡しを看護師さんとするだけになっていきました。母の様子を見ることもできません。それで、8月半ば過ぎには、もう家で世話したいと父は言い出しました。そりゃ、何もできず、ただ寝て窓の外を見てるだけの母のことを思うと悲しすぎます。でも、在宅介護となると未知の世界です。私も次兄も戸惑いましたが、父は自分の思い通りでないと気が済みません。

私の葛藤

何とか私は10日間休みをもらい、帰省して、父と次兄と私とで今後のことを病院と話し合うことになりました。そして、覚悟がありますかと職員さんに聞かれました。それくらい大変ですよと。娘さんどれくらい帰って来れるのですかと。

私の職場も持病の悪化で入院する方がいたり、公文の仕事も人手不足でそうそう休み欲しいと言い出せないし、悩んだ末に、公文のバイトは11月末で辞めさせてもらうことにしました。ほんの5か月のバイトでした。母が倒れる直前にバイトを受けてしまったり、職場の人の入院があったり、世の中思う通りには行きません。というか、災難に災難が続きます。でも、もっと大変な目に合ってる方はたくさんいらっしゃるでしょう。

幸い、私の自宅は義母が元気に家事をしてくれるので、私の留守の心配はありません。といっても、4年ほど前に義母も胃がんや顔面神経痛、尻もちをついて腰にヒビが入ったり、階段を踏み外して、足の指を骨折したり、災難はあったのですが、なんとか回復して元気に過ごしています。

夫は単身赴任で頑張っているので申し訳ないですが、実質3人家族なので義母も少しは楽だと思いますし、ありがたいことです。義母がいなかったら私はこんなに実家に帰れないし、このようなブログを立ち上げる時間もなかったでしょう(>_<)

リビングを自分たちで改装、そして退院へ

父は思い通りにするべく、病院との話し合いから、在宅介護するにあたってのもろもろのこと、すべてこなしていきます。改めて、父、当時82歳。すごいバイタリティーです( `ー´)ノ 

ちょうど次兄の仕事がコロナのせいで2か月ほど休みになっていたので、まずは実家のリビングの大改装。なんせ築35年以上経っており、めちゃくちゃ汚いのです。はっきり言って、他人様が家に入るなんて出来ないくらいに。それを父と次兄で床もクロスも天井も自分たちで綺麗に改装。住宅の職人ではない次兄ですが、ど素人よりはましです。9畳ほどですが、床をフローリングにに張り替えるという気の遠くなる作業と、壁のクロスと天井の色塗り替えまで、全部自分でしてくれました。

11月末頃に改修も終わり、訪問介護の施設が家から3分ほどのところにあったので、そこから1日3回自宅に介護士さんが来てくれることになり、お医者さんも月2回往診してくれることになりました。

介護用品の業者さんとの打ち合わせも父はこなしており、ベッドは床ずれ予防のために介護者が病人の体を動かさずとも、床ずれが出来ない最新のマットレスを入れたり、車いすやテーブルやその他もろもろ、準備は整いました。

2020年12月8日、母が退院してきました。父が家でお世話したいと思い始めてから、3か月以上経っていました。

                                つづく

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