父が亡くなってからあっという間の1週間でした。
ずっとメソメソしていたのだけど、日に日にその回数が減ってきて、父がいないことにも徐々に慣れてきています。
懸念事項は数あれど、手続き関係は今週中に集中的にこなしていく予定。
まあ、名義変更なので次兄がやることばっかりだけど。
ただ、その後のことは不安だらけ。
父が亡くなって数日後、母の妹さんから電話がありました。
『富山と大阪を行ったり来たりしてお母さんの面倒見るなんて絶対反対。体壊すよ。言っちゃ悪いけど、お父さんだってそれで体調崩したようなもんやのに。特養とかいろいろ探してみたら?』
と言われました。
母の施設(基本ショートステイ)のケアマネさんや看護師さんにそのことを尋ねると、このまま預けてても大丈夫だと言って頂けたので、とりあえずホッとしています。この話を母のそばで話し合っていたので、母はとても不安そうでした。母の前でする話じゃなかったですね。かわいそうなことをしてしまった。
認知症も進んできており、ホントに仕方ないことですが、ずーーーっと寝ているだけなので頭がおかしくならないわけないのです。
父が亡くなる3週間くらい前、
この先な、頼れるのは○○さん(母の妹さん)だけや
何か困ったことがあれば、○○さんに相談するんやで
私は心の中で
おばちゃんも80歳過ぎてるし、
目が悪くてほぼ見えないような状態やのに。
だいたい私らのこといくつやと思ってるの?
もうシニアって感じの年齢よ。
高齢のおばちゃんに頼らんでも
自分たちで解決していくしかないわ。
と思いましたが、もう父は物事の良し悪しを判断できるような状態ではなかったので、逆らわず、うんうんとだけ言っておきました。父に反抗することは極力抑えました。
次兄に、
またお父さんが訳わからんこと言ってた。
そんなに深い親戚付き合いしていたわけでもないのに
今さら頼れって言っても迷惑なだけやんな
と愚痴っておりました。
ところが、父が亡くなって数日後に叔母からの電話で、富山と大阪を行ったり来たりしながらの介護なんて反対と言われ、心がとても軽くなったのでした。
ずっと、父が亡くなったら私が母の面倒見ないと、母を自宅で看取ってあげたいという父の願いを叶えてあげないとという、責任感でとても不安だったのです。
母も認知症が進んでいて、日によって状態が全然違います。
おとなしく寝ている日もあれば、面会に行ったらずっと『背中掻いて、腰痛い、痛ぁい』『お父さん、お父さぁん』などなど、言い続ける日もあります。特に夜は明け方までそんな状態らしく、怖かったのです。
おばちゃんに、無理したらあかんと言われた途端に、あ、がんばらなくていいんや、とすっと肩の力が抜けたような気になりました。
電話を切ってからふと、あれ?父が『○○さんに相談したらええ』と言っていたのはこのことか!父がおばちゃんを借りて私に助言してきたんじゃないかと思えました。
父は母を施設に預けることは絶対せず、看護師さん達からは、週1回でもいいから預けてお父さんが体を休めんと体壊すよと言われていたのに、頑なに拒否して頑張り過ぎて癌の進行を早めたのです。
そのことを父は死んでからやっと気づいたのか?無理したらあかんと言ってくれてるような気がします。
四十九日までは父の魂が家に居てずっと見守ってくれている、みたいな、スピリチュアルなことは何も感じないのだけど、おばちゃんの言葉を借りて父が私に無理すんなと言ってくれているような気がして、ありがたくそうさせてもらおうかなと思います。
3週間ほど前に父が言ってた言葉『○○さんに相談すればいい』というその言葉が、まるで伏線回収のようにすとんと腑に落ちたできごとでした。
それでは今日もありがとうござい「した(@^^)/~~~
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コメント
えみんちょさん ご無沙汰しています。
お父様のことは残念ですが、1週間経たれて少しは落ち着いてこられましたでしょうか?
ブログはずっと拝見させて頂いていたのですが、えみんちょさんに掛ける言葉が私の中で見つからず、今日になってしまいました。
私も実父を亡くした時のことを思い出したりして、切なくなりました。
お父様の ”叔母さまを頼れ” とおっしゃったこと、書かれている通りだと思いました。
やっぱり、お父様はえみんちょさんをわかっておられたんだな〜と感心しました。
yukasaさんありがとうござます(´ー`)
亡くなってから1週間くらいは落ち込みが激しく、元の生活に戻ることが出来るのかと思っていましたが、だんだん慣れてくるものですね。みんな、こんな気持ちを乗り越えて日々の暮らしを行っているんだなあとしみじみ感じています。
もうすぐ、『フェス』ですね。めちゃくちゃ大変じゃないですか?成功を信じて陰ながら楽しみにしています(@^^)/~~~