長兄の“嘘”と父の怒り

実家問題
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先日、両親の三回忌のために実家へ帰省しました。少し前のブログでは掃除のことやG出現のことで話は終わってしまいましたが、まだまだ思ったことはいろいろあるわけで。

当日はとても暑くて、身も心もなかなかハードな日々でしたが、それ以上に心に残ったのは、兄たちとのちょっとしたやりとりや、家族の記憶をたどるような時間でした。

今回は、そのときの出来事を少し振り返ってみたいと思います。


“嘘つきな兄”とアイロン不要になった喪服

三回忌を前に、私は「長兄の喪服、自分で洗濯してしまってシワシワだったし、アイロンかけてあげなくちゃ」と思い、本人に「スーツ出しといてね」と声をかけました。

しばらくして出してきたスーツを見て、「あれ?」と私は思いました。

明らかに、父母の葬儀のときに着ていた喪服と違うスーツ。しかも冬用の生地。

とりあえず私は、

私

前に見た時はしわくちゃになってたと思ったけど、これならそのまま着られそうやね

と言ってみました。

すると兄は、

「うん、クリーニングに出したから」

とサラッと返答。
……いやいやいや。クリーニングのタグ付いてないし、そもそもスーツが違う(笑)

その瞬間、「これは完全に嘘やな」と確信しました😅


“嘘”の理由を次兄が教えてくれた

実は以前、次兄がこんなことを言っていたのを思い出しました。

「兄貴は嘘つくから」

そして今回、こんなふうにも語ってくれました。

「でもな、それには理由があるんやで」
「親父が兄貴によう怒っとったんや。怖かったで。げんこつもされとったしな」

私はその記憶がほとんどなくて驚きました。
たぶん私が小さすぎたのか、あるいは女の子だったからか、父も私の前では厳しくなかったのかもしれません。

そう思うと――
兄は兄で、ずっとしんどかったのかもなぁ、と。

いつも父に怒られて、
きっと自信をなくしたり、自分を守ろうとするクセがついたり。
それが“大人になっても嘘をつく”という形で出てるのかもしれません。

「兄貴も、可哀想やったんやな」

次兄の言葉が、胸に残っています。

次兄は、そんな父と長兄の関係を子どもながらに見ていて、

「自分は怒られんように、うまいこと立ち回ろうとしとった」

と言っていました。


昔は「発達障害」なんて言葉もなかった

50年ほど前のあの時代、
【発達障害】なんて言葉は一般的ではありませんでした。

両親も、きっと「息子が人と少し違う」ということを受け入れるのが怖かったんだと思います。
そして、口下手で動作ものろまな息子のことを、どこか歯がゆく感じていたのかもしれません。

あの頃は高度経済成長期の真っ只中。
父が町工場を立ち上げ、家計は火の車。
子どもの教育や心のケアにまで気が回るはずもなく、
とにかく働いて生き抜くことが最優先の時代だったのでしょう。

今の私がいろいろ悩んでしまうのは、生活に少しゆとりがあるからこそなのかもしれません。
次男のことをどう支えようかと悩んだり、自分を責めたり。
でもそれって、ある意味幸せなことなんでしょうかね。


喪服とスーツの行方は…

ということで、長兄の喪服にアイロンをかける任務はなくなりました(笑)
結局、暑すぎて上着を着ることもなかったので、結果オーライということに。

ちなみに、父母が残した大量の衣類はほとんど処分しましたが、
スーツ類だけはタンスに残ったまま。

今回の喪服もその中にあったものを活用したのですが、
以前、家で洗濯してシワシワになっていたはずの薄手の喪服だけが、どうしても見つからなくて…🙄

どこへ行ってしまったんでしょう。謎です。


兄たちとの暮らしは、正直気疲れすることも多いけれど、
こうして少しずつ、知らなかった家族の記憶に触れていけるのは、
なんだか不思議で、大切な時間だなぁと感じました。


それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~

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