前回のブログは父が入院することになった1週間をざっくり書きました。
今回は私的な備忘録となり、長文となる予定です。あしからずですm(__)m
3/17㈮父、かかりつけの医者に行く
今年になって咳が続いて痰に少し血が混じり、左脇腹の痛みもあり、かかりつけ医に行ってみた。
肺のレントゲンと血液検査をした結果、肺炎の疑い。安静にしておくように言われる。
薬で様子を見て、月曜日にまた来てください、となり、その時改善されていなければ入院になるかも?
その日の夜、父から電話あり、私も駆けつけたいのは山々だけど、今、仕事休むわけにはいかないなあと悩む。
次兄は出張中で明日帰って来るみたいだと言う父。
月曜日に病院ということは母はどうする?
3/18㈯私、休みたいと申し出る
まだ私も気持ち的に切羽詰まってなく急に休めないと思い、水曜日から4,5日休みたいと店長に申し出て了承される。
兄にLineして状況を説明。夜には帰れるし、日曜から火曜まで仕事休みだというので、ちょうどよかった。
3/19㈰次兄、訪問看護師さんに叱られる
この日の朝の看護師さんはベテラン看護師さん、我が家のことなんでも知ってくれている心強い方。
父が、自分が入院になるかもと相談して血液検査の結果を見せると
なにこれ?!
お父さん、あかんやん!!
数値めちゃくちゃ悪いやん!!
絶対安静やよ!!!
次兄もびっくりして『そんなに大変なことなんか!』と焦り、私に慌てた様子でLineが来る。
私もそのLineを読んで動揺してしまい、『すぐ行かなくちゃ』と。
ちょうど、夫が帰省中だったので夫も『すぐ行ってあげて』ってことでとにかく職場に電話。
泣き虫な私なもんで、店長の声を聞くだけで泣けてきて言葉が出てこず、『お父さんが・・・・』と言うだけ。きっと店長は『亡くなったの??』と思ったことでしょう。
なんとか、声を振り絞って事情を説明し、快く休みを頂けました。
そうして急いで準備して大阪へ。
16時頃家に到着すると、母はすでに施設に預かってもらったとのこと。
父は寝てるのかと思ったら、ソファーで普通に座ってます。
なんだか拍子抜け。
いや、看護師さんが騒ぐから大げさなことになってしもて。
咳も痰も出るけどそんなしんどいことない。
寝る程でもない。
ちょっと脇腹痛いのと、50肩で腕が上がらんだけや。
(-ω-;)ウーン、今思えば全部肺がんの症状なのかも?!
まずは、母の様子を見に施設に行きました。歩いて2分ほどの距離です。
個室でただただ寝ているだけの母。私が行くと目を見開いて何か言ってますが分からず。
私の次男の名前を言った気がするので『大きなったやろうなあ』と言ってるんだろうと思い、
先月会いにきたやろ?
就職でもうすぐ家出るんやよ。
母、聞いてるのか理解できないのか、なんともとぼけた顔をしておりました。
父のことを説明して、自分のせいだと思ったらかわいそうなので、
お父さん、風邪こじらせたみたいやわ。
肺炎で入院するかもやて。
悪いけど、お母さんしばらくここで寝ててな。
『こくん』と頷くだけの母。
脳も半分くらいしか動いてないのかな?認知症と言われたわけではないのですが、脳梗塞のため、どんどん組織が死んでいってて、ただ頭に浮かんだことを声に出すって感じでしょうか。
3/20㈪かかりつけ医から大病院へ
朝一で父と次兄はかかりつけ医へ。検査するも大病院に行くように言われる。
『安静にしとくように言ったでしょ』と医師から言われた。
なんだかんだと家でも動き回ってしまう父です。
いいよいいよ、私が取って来るから、どこにあるの?
いやいや、それくらい大丈夫や。
ワシしかわからん。
なんでもこんな調子です。
そして、父と次兄で電車で大病院へ向かいました。
大病院での喀痰検査で、結核の疑いが出ました。
まさかの結核です。法定伝染病だからまた別の指定病院で診てもらう手配をすると言われる。
保健所に連絡するやら私たち家族も出来るだけ家に居てと言われるやら。
とうぶん富山にも帰れないのかも?と焦りました。
母の施設にもすぐ電話して、また面会禁止・母も検査しないといけなくなりました。
3/21㈫祝日の為家で安静にするだけ
祝日の為状況変わらず。
念のため、入院の準備をしておく。持ち物などすべてネット情報が頼りです。
3/22㈬まちぼうけ
お昼前になってようやく大病院から連絡あり。
ところが、『検査結果が夕方になる。それからどこの病院に行くことになるか決定するので、今日はもしかしてまだ動けないかも?』とのこと。
夕方4時過ぎ連絡あり。
『結核の菌がマイナスで報告来たけれど、明日指定病院へ行って検査してください。結核なら即そこで入院。違えばまたそこの先生と相談して今後のこと決めます。』
なんやそれ(-ω-;)ってなりましたが、仕方ない。
3/23㈭大病院へ行ってから指定病院へ
10時過ぎてから大病院から連絡あり、まずは大病院へ書類を取りに行き、その足で結核の指定病院へ行くように言われる。
次兄が仕事の閑散期に入ったので、1週間ほど休めたお陰で車で移動。
父の体力ではとてもじゃないけどこれを電車で移動なんて無理です。
指定病院でもまた同じような検査をして、結果、結核の菌はマイナス。
でも、結核菌は実際は4~6週間培養して現れるようなゆっくりな菌なので、可能性は0ではない。
ただ、レントゲン・CT・血痰、咳が続いている・脇腹が痛いなどから考えると肺がんが一番濃厚だと。
父の肺は『典型的なたばこ吸いさん』の状態で所々穴も開いてるし、腫瘍ののような影がある。片肺はスッカスカになっているとのこと。
15歳から77歳まで60年以上のヘビースモーカーだったので当然の肺。
他にも、カビとか肺気腫とかの可能性はあるけど、まずは肺がんの疑いなので、また明日、元の大病院へ入院の準備をして行ってください、となりました。
3/24㈮大病院へ舞い戻る
早朝から父・次兄・私の3人で大病院へ。
まずはまた喀痰検査。結果が出るまでは隔離状態。でもその場所に次々とコロナの検査の人が来るので若干不安になる。
結核の菌が出なかったため、次は血液検査。その後、ようやっと主治医の先生からのお話しでした。
きちんと分かりやすく説明を受け
ご本人を前にして言うのははばかられるんですけど、
命を助けるということが出来ないかもしれない状況です。
覚悟はしておいてください。
①手術は体力の問題と高齢の問題で耐えられないでしょう。
②放射線治療は、範囲が広くて無理そう。
③抗がん剤も80代後半になってらっしゃるので耐えられないかも。
とにかく、腫瘍マーカーで数値が凄く高いので肺癌が濃厚でさらに感染症も起こしているのではないかという推測。
来週の半ばに気管支鏡の検査。カメラを飲んで組織を取って検査に回す。その結果次第で今後の方針を決める。入院は10日~2週間が目安。
こうして、入院することになりました。6階の病棟まで一人しか付き添いできず、病室には本人以外入れない状況。父から、病室で衣類や諸々をタンス?みたいなのものに入れるのを私にやってと言われてたのに、それも叶わず。
面倒を見てあげたくても、今の病院は家族は何もできません。
こうして、夕方、私たちは帰宅しました。
私はすぐに母の施設に父の状況を説明しに行きました。母もやっと喀痰検査できたから月曜日くらいに結果が陰性ならば面会できるとのこと。
ちょうどベテラン看護師さんがいらしたので、私は半分泣きながら説明しました。頼れる人に話を聞いてもらってたら勝手に涙が出てしまいます。
お父さんが今までどれだけ大変やったかを聞かされて心がずきずきと痛みましたがどれも本当のことです。
治療方針とか今後のこととか
お父さんの思う通りにしてあげてな。
帰り際にこう言われました。こうなったら何でも父の願いを叶えてあげるしかありません。
とことんやってやろうじゃないの(; ・`д・´)
家に帰ると父から電話がありました。
なんやまた結核菌が出たからって個室に移された。
一歩も出たらあかんって。
ほんまにどないなってんや?!
来週火曜日に検査するやって。
3/29㈬そして今日現在
昨日、気管支鏡の検査をしたはずなので今日電話してみました。声がおとなしく弱っている感じです。
実は、おととい、個室で滑って転んだとのこと。レントゲンは異常なしでしたが、腰がとても痛いのと脇腹も痛くてあんまり眠れないらしい。
もうな、命がひと月ふた月かもしれん。
いろいろ伝えときたいし、お母さんも家で看てあげたいし、
はよ退院して家でお母さんと過ごしたいわ。
こんなになっても母のことが心配や、かわいそうや、ばっかり言ってます。
父の体力で母を看るなんてとても無理だし、早く行ってあげたいですが、次男の引っ越しが31日で、町内の溝掃除が4/2です💦💦義母さま一人ではとても無理。
溝掃除のお話しはこちら👇
溝掃除が終わり次第大阪へ向かう予定です。
今は私は富山でパート仕事してますが、4/1でいったん終わり、無期限休業になります。
店長やパート仲間が『また戻ってきてね。待ってるよ』と言ってくれるし、退職したい気持ちもあったのですが、人手不足で、募集かけても誰も来ないであろうし、ここまで運命を共にしてきた仲間を見捨てることもできないので、いつか復帰するかもしれません。
とても長いブログになってしまいました。
誰の得にもならないような内容ですが、それぞれの家庭で100%起きる病気や介護問題。
やっと次兄とも今後のことを本腰を入れて会話し、私らがやるしかないと話し合いました。
お互い父への不満もあるのですが、それでも父の思う通りにしてあげようということで意見が一致したので、やれることをやっていきます。
お医者様から言われたので、まずは父の介護申請を市に提出しました。
長兄にはやっとやっと洗濯の仕方を私が!教えました。お母さん、頼むでしかし!
干し方もいまいちだし、取り込むのも忘れるし、幼児に教えるように優しく丁寧に言わないと萎縮してしまうので、なかなか骨が折れます(^_^;)
長兄が一人で生きていけるようにしておいてもらいたかった。これが今の私の切実な思いです。
それでは今日も長々長々とありがとうございました(@^^)/~~~
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コメント
えみんちょさん、お身体大丈夫ですか?
えみんちょさんの負担があまりにも大きくて、一息つける場所があるのかしら?と心配になります。
お父様やお母様のこと・・・精一杯やってあげたいと言う気持ち、よく分かります。
でも、本当は泣きたいけど気丈にふるまっているご様子。
看護師さんでもお兄様でも、旦那様でも、どんどん甘えちゃってくださいね。
どんどん頼って、なんでもやらせて、えみんちょさんの負担を少しでも軽くしてください。
そして、今は息子さんとのひと時を思う存分楽しんでください(*^^*)
greyさん、ありがとうございます(´▽`*)
そうですね。他人に頼るのも大事ですね。つい何でも自分でやってしまう、その方が早いと思ってしまうから。それじゃあ周りの人のためにもならないしね(;´Д`)
こうしてブログに書くと悲惨な感じですが、心も体もいたって健康です!(^^)!
でも、ブログをやっていなかったらこのはけ口がなくてもっと一人泣いていたかもしれませんね(´艸`*)
次男も無事巣立ち、また実家に行きますが、これもまた人生経験のつもりで介護を体験してみたいと思います。