朝、目覚めると、父が苦しんでいるんじゃないか?『おーい、誰かぁ、助けてぇ』と呼んでいないか?真っ先に頭に浮かび、耳を澄まします。
あ、もう、そんなこと気にしなくていいんだ
と、脳の勘違いを修正します。
6月24日土曜日の明け方、父が逝きました。
このブログを立ち上げた理由はいろいろありますが、私の実家の家族のことを書き残して、我が実家はいったいどうなってしまうんだろうかという不安と恐怖をぶちまけることで、ごまかすというか、ストレス発散というか、そんな気持ちがありました。
そして、父の嫌なところ、嫌いなところをつらつらと恥ずかしげもなく書き綴ってきたにも関わらず、その欠点も含めてすべてが愛おしくありがたく思える自分がいます。
どんどん弱っていく父を見るにつけ、自分が間違っていたと猛省と懺悔の日々でした。
このままでは、絶対に後悔すると思い、亡くなる1週間前くらいに意を決して父に謝ることができました。
いっつもきついことばっかり言ってごめんね
ついひどい言葉を言ってしまってほんまにごめん
意識もうろうとしていた父でしたが、泣きながら何かを言っていました。
私も号泣してしまって父が何を言っているのか聞き取れませんでした。
ずっとそばで寄り添って看病したら良かった
家の片付けや食事作りなんて、頑張らなければよかった
食事作ってもほとんど食べてもらえず、それなら料理に費やす時間を父のために使えばよかった
父のそばでテレビでも見てぼうーっとしているだけでも良かったのに
ただただそばにいてあげればよかった
病気発覚から約3か月。
検査だ、様子見だとだらだらと日々が過ぎることひと月半。
そして、本格的な在宅介護が始まってから亡くなるまでがさらにひと月半。
たったの3か月しか父に寄り添うことが出来なかった。
母のことを2年半以上在宅介護していた父をどこか冷めた目で見ていた私。
こんなにも在宅介護が大変だんて思わず、高齢の父一人でやっていたなんて感謝と尊敬しかありません。
今は、この家の中の物すべてに父の思いがこもっていて、『断捨離しろ、使わないものは捨てよ、賞味期限切れするなら買うな』などなど悪態をついていた私ですが、期限が切れてしまうくらい忙しく、食べる暇がなかったんだなあと思うと、その期限切れの食べ物でさえ愛おしく思えます。
父が一人で辛い思いをしながら生活を切り盛りしていたと思うと、自分が情けなくてあほで、人の痛みを感じられる人間ではなかったと痛感しております。
この先の人生、父に恥じぬよう、母の介護や兄たちの行く末を見守って行こうと思います。
それこそが父がいちばん気に病んでいて、最期まで『大丈夫か、暮らしていけるのか』と嘆いていたことなので、どんなことがあっても、父に胸を張って『大丈夫やよ、心配せんでもみんなちゃんと生きていってるよ』と報告できるよう歩んでいきたいと思っています。
前回の記事で👆書いていたことが中途半端になっておりました。
これもきちんと書き上げたいし、この3か月の闘病生活・訪問医療や訪問看護ステーションのこと・葬儀のことなどなど、体験したことを基に皆さまの参考になるようなことを綴っていきたいと思っています。
長~~い目で読んで頂けると幸いです。
それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~
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【追記】ちょっと思い立って、初めに公開した時の題名『大好きなお父さん』から『さよなら大好きな人』へ変更いたしました。
コメント
えみんちょさん、お疲れさまでした。
少しは落ち着かれましたか?
読んでいて、私の母の時を思い出して、目頭が熱くなりました。
お父様も最後までえみんちょさんがそばにいてくれて、本当に喜んでいたと思います。
とりあえず今はゆっくり休んで、心と体を癒してくださいませ。
greyさん、このような内容の記事で、悲しみを思い出させてごめんなさい。でも、思いはみんな同じだと思うととても心強いものですね。
もう1週間経ちました。早い!!
日にち薬とはよく言ったもので、一生続くかと思われた悲しみや胸の痛みが、もはや薄れてきました。
毎日のように父のことを兄とあーだこーだと話していますので、癒しにもなり供養にもなっていると思います。
少しづつ前向きに楽しくブログ生活続けていきますね。
コメント頂けて嬉しかったです。ありがとうございます(´▽`*)