三年前の夏、母が脳梗塞で倒れて入院、コロナ禍のせいで全然母に会えなくなり、父は家で看ると決心しました。
母の闘病生活は3年と3か月。そのうち父が在宅で看ていた期間は2年と4か月です。
慣れないこと、したことないことの連続でどれだけ大変だったでしょう。
入院⇒リハビリ病院⇒在宅医療へ切り替え、様々な手続きを父一人でやり遂げました。
在宅になったらなったで、一日3回の訪問看護にマッサージの先生や口腔ケアの方の来訪。
毎日毎日365日誰かが家に訪れるという生活(多い時は日に3組とか)は想像をはるかに超える精神的苦痛だったはずです。もちろんそういう方々にお世話にならないと在宅介護は成り立たないので大変ありがたいことなのですが💦
私が父を家で看れたのは3か月ほどでしたが、たったそれだけでも家に人が来ることと、電話がよくかかることで、こんなこと2年以上もよくやっていたなあと、やっと父の苦しみを痛感しました。
父はそうした介護の合間に、長兄が障がい者年金をもらえるようにするための市役所とのやり取りをこなしたのです。
私たち子供は、『お父さんが自分で看るって言ったんやからね』との思いであまり協力せず、孤独な戦いの末、3月末に肺がんに侵されていることが発覚し、たった3か月で逝ってしまった父のことが不憫で不憫で。
それなのに私ときたら、散々このブログで父のことを悪く言ってました。
その罪滅ぼしになるかわかりませんが、今はいろいろな手続きを終了できるようにがんばっています。これがなかなかゴールが見えないんですけどね(>_<)
でも、父がやり遂げた様々な手続き事に比べたら全然たいしたことないです。
だってもう誰の介護もする必要がないのですから。
父は母を看ながらでしたから、施設に週一回半日だけ母を預け、その日だけが、自分の病院に行ったり、散髪に行ったり、買い物や銀行に行ったり。あっという間に時間が過ぎたことでしょう。
そういう父の苦労を思いながら、家の中に残っている大昔の書類を捨てまくっているのですが、父の商売をしていた証である書類の文字が母の筆跡で、二人の歴史を見ながら毎日過ごしていると、いつまでもメソメソしてしまっています。
それでも母の死後、心の切り替えは出来ていて、友人とランチに出かけたり、懐かしい友人たちとlineしたり、今の自分の境遇はとても幸せなことだなあと思っています。
諸々の手続きについては、とにかくややこしい、めんどくさいに尽きますが、少しでも皆様の参考になるように、これからはそういう、経験してみたからこそのお話しを書いていきたいと思います。
それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~
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