実家から遠く離れて 後悔先に立たず

実家問題
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明日から実家に帰る予定でした。

コロナで入院していた母が退院してきて、元気がないと父から聞いたので、店長に相談していました。

早い方がいいでしょ、ということで4日間休み頂いてました。

ところが、他のパートさんのお義父さまが危篤となり、急遽帰省されたので、当然、そちらを優先するので、私は別段急ぐことはないので延期にしました。

私の職場環境

ホントに少ない人数でやってるお店なので、みんなそれぞれ事情があって、なんとかやりくりしながら、お互いを思いあいながら働ける職場なので、持ちつ持たれつ、ありがたいことです。

以前の記事『転職する?しない?どっち?』で、割のいい仕事を友人から紹介されたことを書いていました。

その友人とこの前ランチしました。もう、その仕事は他の人が応募したみたいです。

チャンスだったのですが、今の職場はなんとか休みをやりくり出来るメリットが大きいので、転職はやはり今のところはないかなあ。

周りのお店よりも時給は低いんですけど、高時給になれば、その分働く時間が減るし、(年130万円超えないように調節しているため)

今の日本の制度だと、年収を上げることは難しいですね。

社会保険の壁、何とかならないかなあ(*_*; 気にせずどんどん稼げばよかったとも思いますが、そうすると、このようなブログを立ち上げるなんて時間は私には持てなかっただろうと思います。

母のお下の世話のこと

さて、父に連絡をとりました。

父も、『そらぁ、気持ちよう行かせてあげないと』と言ってくれました。

母の様子は、コロナの後遺症なのか、痰が絡んで吸引をしてあげないといけなくなってるそうです。

父のお気に入りの優しい看護師さんは、『いざという時、お父さんが吸引できるように』とやり方を教えてくれているそうです。

父もトライしてみるけれど、難しいし怖いしでなかなか出来ないみたいです。

『他の奴はあかん。忙しいからってやることちゃっちゃとやって、さっと帰って行きよる』

こればっかりは私は何とも言えません。

前は月一回4日間帰っていたので、その間は看護師さんを見ていましたが、父の言う『男は全然あかん』とまでは思わないし、むしろ、母のお尻を洗ってくれて本当にありがとうと思います。

確かに男性看護師さんは、愛想がないし、冷たい感じはしますが、やはりお世話になっているんだから感謝の気持ちで接したいと思うんですがねぇ。

そういえば、去年の夏ごろだったか、私が帰省しているときに、ある男性看護師さんが来ました。

私は初対面でしたが、もう何回も来てくれているようでした。

いつものように母のお尻を洗う準備をその方がやろうとした時、母は出ない声を振り絞って

『あっち行って。あっち行っといて!』

と私に言うのです。その時は意味が分からず、『もう、なんなん?』と思いながら部屋を出ました。

母にそんなことを言われたのはそれ一回きりですが、少しショックでした。

真意はわかりませんが、男性に下の世話されているのを見られたくなかったのかなあと思います。

母の母親としてのプライドだったのかもしれません。

小さい頃からずっと『なんかあったら頼むで、女の子はあんただけなんやから』と言われていたのに、今の私はその母の願いを叶えてあげれていません。

つい、我の強い父に引っ張られて、父のことばかり書いていますが、昔から私は「おかあちゃんっ子」でした。

私の一番幼い時の記憶は、2歳ごろだったでしょうか。 母におんぶされて”かいまき”をはおり、買い物に行く母の背中の温かさです。なんともいえず幸せだったのを覚えています。

母の背中に飛びついて喜んでいたけれど、母は相当大変だったでしょう。

これは自分も母親になったら絶対しようと思っていたことなのに、おんぶというのがとても肩に負担で長時間できず、おんぶひもも「かっこ悪い」と思ってほとんどしてやれなかったなあ(*´з`)

それにしても、あんなに頼もしかった母が、こんなに小さくなって、手足も腰も曲がって動かせなくなってしまうなんて。

誰もが老いることは知っているくせに、自分事としてはとらえられなかったのです。

遠方に家を建ててしまった

一時の欲で実家から遠くに家を建ててしまって、人生最大の後悔です(T_T)

今の家も好きだし、この地も住みやすいのですが、何よりも実家問題が大き過ぎます。

子供が転校ばかりする生活にならなかったのは良い点ですが、その代わり夫が単身赴任生活で、父親不在の家庭になってしまい、申し訳ないなと思っています。夫は家を買うことに気乗りはしていなかったので。

転勤で富山に来たのは22年前。子供たちはこちらで生まれ育ち、私も気の合う人たちとも出会えました。

何より、周りの人たちがみんな素敵な家に住んでおられ、しかも、大阪の半値くらいの値段でマイホームが買えるのです。

あ、私が大阪育ちで富山県在住だと言ってしまった(笑) でもこれを明かさないと距離感とか分かりにくいですもんね(*’▽’)

長くいる程(富山に転勤になって6年ほどで建てた)ここで一生暮らしていきたいという思いが募り、夫を説き伏せて、マイホーム購入計画を推し進めてしまいました。

今では夫もここで家を建ててよかったと言ってくれてますが、マイホーム購入後一年もしないうちに夫に転勤命令が下り、以後、14年ほど各地を転々としており、このままだと定年まで転々としそうです。

夫の健康、家族離れ離れ、家計費の圧迫、そして実家遠すぎ、などなど、問題ありありですが、幸いにも、子供たちはすくすくとひねくれずに成長してくれております。

それには義母が子育てや家事を全面協力してくれているお陰です。

来年は次男が高校卒業で、進路は絶賛お悩み中ですが、都会への憧れはあるようです。

それは本人に任せてますが、義母と二人きりの生活もどうなることやらです。

でも!とにかく!!、実家問題が私の心の大多数を占めているのです!!!

仕事も年度末からの新入学シーズンになるので、帰省はおあずけとなりました。

そのことをまた父に電話しなくては(~_~;)

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