10月半ば過ぎからさらにさらに痩せこけて、骸骨のような顔になっていた母。
もう昔の元気だったころの母の面影が無くなり死へ一直線に向かっているのはわかりました。
この頃から、仏壇の父に、絶対に私は最期を看取りたいんだと念じ続けていました。
亡くなる5日前になると、もういつ息が止まってもおかしくないという状況に思えたので、ベテラン看護師さんにいろいろ聞きました。
タイミングやその時のスタッフの人数にもよるけど、
最期は家に連れ帰ってあげること出来るよ
そんなうまいこと行くはずないよなあと思いつつ、そうなればいいなと思っていました。
4日前には長男も来てくれて、二人して母の息が止まるのを何度も見て、そのたびに『おばあちゃん?!』という事態になったのですが、なんとか30秒息をして30秒止まるみたいな様子を繰り返していました。
3日前は昨日とそう変わらない様子だったので、もしかしてこんな感じがあと1か月続いたりすることもある?みたいに思いましたが、正直、そんなことになるのはかわいそうなので『お父さん、お母さんが苦しまないようにもう迎えに来てあげて』と密かに願っていました。
2日前になると、やっぱりもうすぐだと思い、父母それぞれの妹さんに連絡を入れました。お二人とも高齢だし、それぞれ病気を抱えておられるので、お葬式には来なくていい旨を伝え、お香典なども一切要らないとはっきり言いました。お互い気を遣うからもうやめましょうと、失礼のないように断れたと思います。
そして前日、10時過ぎくらいにベテラン看護師さんが家までやってきて、『お母さんのそばに居てあげて』と言いに来られました。私が電話に気付かなかったのでわざわざ来てくれたのでした。
私も焦って今にも泣きだしそうになりながら駆けつけました。次兄にも連絡したら仕事をおいて帰って来ました。長兄にはまだ連絡しなくても大丈夫と言われ、
2時ごろ先生が診に来てくれるから
その後家に連れ帰れるから
こんなに弱った人を移動させるなんて無理だと思い諦めていましたが、ベテラン看護師さんとケアマネさんの機転で他のスタッフさん達にも声をかけて、帰る準備をどんどんしてくれました。
そして、お医者様が来られて許可が下り、最期の兆候のようなものはどんなのか聞いてみました。
下顎呼吸(かがくこきゅう)という顎を上げ下げして大きく息をスーハーするのが、兆候の中で多いパターン。1日から数時間前位だと。ネットで検索していた通りのことを言われました。
その合図を見逃さないようにしないと、父の時も何度もそういうことをネット検索で見ていたのに、いざとなったら気づかず私は寝てしまっていたので、今夜は眠れないなと覚悟しました。
施設での薬剤や私物などは車で運んで下さり、母本人はベッドから車いすへの大移動。にもかかわらずぼうっとして車いすに移すとすぐに眠ってしまいました。
暑いくらいの秋晴れの中、2,3分ほどの距離ですが我が家へ向かってゆっくりと歩き出しました。
続きはまた明日(@^^)/~~~
本日もありがとうございました。
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