実家から帰ってきて5日ほど経ち、母の様子伺いで父に電話しました。
50分ほども話し、もう限界になったので、話しを遮って電話を終わらせました。
父の愚痴がとめどもなく、私が近くに居たらこんなことにならなかったのかなあ?
結局は私が富山に家を買ったことが、すべての誤りのような気がします。
思いが違う
母は上腕の静脈から高栄養の点滴注入が始まりました。
簡単な手術みたいなことをすると聞いていたつもりですが、そうではなくて、腕の静脈から長い針のようなものを深く刺して高栄養の点滴を入れ始めたようです。
そうして、鼻チューブを外すと理解していたのですが、外さず、鼻からは薬を入れるとのこと。
鼻や胃を休ませると言ってたはずなのに???
まだ始まったところなのでしばらく様子を見るということなのかな?
レントゲンの結果もまだなので、お医者様がいいように判断してくれるのを待つしかありません。
父も疑問に思っているけど、あんまりごちゃごちゃと言って意地悪されたら嫌なので、しばらく様子見るわ、ってことでした(^_^;)
鼻チューブを外して口から飴でもなめさせてあげたいと思っていたのですが、さすがの私もどういうこと?と疑問。
そばにいてあげられないことの歯がゆさです。
兄への不安
父の話しは止まるところを知らず、長兄の様子も聞いたのですが、不安が高まる一方でした。
デイケアサービスには毎日通っていて、お昼も無料で食べられるそうです。
料理したりヨガをしたり映画を観たりしているそうですが、生活の自立支援が目的なので掃除洗濯などの訓練もしてくれるんやろうと父は言います。
そんな、施設任せでいいのか?
私は次に帰省した時に洗濯も教えないとなと思っています。
なんで今までそれをさせなかったのか?
母も元気なうちに長兄にいろいろ教え込んでほしかった。
もう、何もかも今さら言っても仕方ないことばかり(T_T)
あいつにそんなこと教えたかてスカタンばっかりするやろし、
じっくり教える時間なんてない。
お母さんのことで手一杯や。
*スカタン:間違いや見当違いすること
それはよくわかるのですが、私の方こそ父に愚痴りたいです。
なんで元気なうちにいろいろ手を打たなかったのかと。
それを言えないから、こうしてブログにさらけ出しているのですが(~_~メ)
最近では長兄は独り言が異常に増えて声も大きく、なんかおかしくなってきたとか言うからますます心配になりお先真っ暗(>_<)
私も両親がなんとかするんだろうと放っていました。
なんでも先送りしてきたことが、今、集中砲火を浴びています。
父に『どうするの?』と問い詰めてしまったのですが、もう父は、行政に任せる、俺もお母さんのことで手一杯だと言います。
それでも出来ることから始めないと突然父が死んでしまうようなことになったら?
次兄に対する不満も出るわ出るわで、聞いている私が気分が悪くなり出したので、途中で話しを遮って電話を切りました。
今回の電話は、私は怒鳴らなかっただけましです(*´з`)
大学時代の友人とランチ
大阪から帰る日に、大学時代の友人3人でランチしておしゃべり会してきました。
もう、5,6年振りくらいです。
それぞれ、いろんな経験して、介護の話しもたくさんできました。
10年くらい前にガンでお母さんを亡くしている友人は、
『生きてるからこその愚痴やで』
と言ってくれて、そうか、元気で生きているからこそ愚痴も言えるんやな。死んでしまったらもう何も言ってくれへんでと教えられました。
今日の父とのやりとりもこの生きてるからこそという言葉を心の中で繰り返し、耐えることが出来ました。
この、お母さんを亡くした友人は、15年くらい前にアロマとか好きだったので学校に通って、アロママッサージの資格を取っていたそうです。びっくり尊敬😲
もう一人の友人もまったくの素人から介護業界に飛び込み今ではベテランのヘルパーさん。
私がうだうだと過ごしていた間にみんな頑張っていたんだなと情けないです(>_<)
で、私もセラピストの資格を迷っているという話したら、感動のエピソードを話してくれました。
最後の一か月在宅で看取りをするということになり、姉妹交代で看病していたそうです。
まったく目を開けず意識もなかったお母さんにアロマを炊いて手をマッサージしてたら、ふっと目を開けて『ごめんなぁ、ありがとうなぁ』と言ってくれたそうです。
それっきりまた眠りについたそうですが、何かを感じてくれたんやろうなぁと言っており、資格取ってて良かったと言ってました。
持つべきものは古き友人、改めて、みんなで助け合っていこなぁと言って別れました。
やはり、人と会って話すこと大事と改めて思いました。
それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~
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