実家問題、父の奮闘によって少しづつ前に進んでいます。
父にばかり負担がかかっていることが申し訳なく、1週間休みもらって高3次男も久しぶりに実家へ連れて行く予定です。
兄の過去と行く末
長兄は近々、脳波の検査をするらしく、それでいよいよ発達障害だと判定されれば、障害年金がもらえるようになり、65歳を待たずにその分のお金はもらえるそうです。
2週間ほど前に精神科の病院でお医者様と面談してきたとのこと。
お医者様は兄を見てだいたい察しが付いたそうです。もちろん、いろんな資料も見てのことだと思いますが。
まあ、発達障害でしょう。
詳しく検査して正式な病名もわかるでしょう。
長兄に関しては、これで安心ということはないですが、長年のもやもやが少し晴れてくれそうです。
父から驚きの話を聞きました。
大昔、兄の3歳児検診の時に、保健所の人から何かの指摘は受けていたらしい。母がそう言ってたそう。
今ほど、福祉は発展していなかったので、その後のケアとか特に何もなかったと言ってます。
高度経済成長期、父は家族を養うためにがむしゃらに働き、子育てのことは母に任せっきり。
若い夫婦は生活していくことで精いっぱいだったでしょう。
二人とも中学を出てすぐに働き、父21歳、母23歳で結婚したそうです。
当時の様子や時代背景をもっと母から聞きたかった。もう、遅いんですけどね(T_T)
そして、兄が20歳の時、精神病院に行くようになった頃、兄本人から聞いた話だそうですが、小学校低学年の時に、担任の先生と病院へ行き、頭にいっぱい線を付けられてなんか検査したと!!
父母共に初耳だったそうで、それは何の検査だったのか?
どうして親に何も教えてくれなかったのか?
兄は口下手で、その日の出来事を親に話すような子ではなかったので、両親は何も知らず、ただ、ちょっと変わった子、そういう性格、っていうのが、我が家の兄のポジションでした。
当時の学校の対応が杜撰すぎて、それ、ほんまの話?と聞き返しました。
今では考えられないことです。
昭和40年代 戦後20年しかたっていなかった。
みんなががむしゃらに豊かになるために働いていた時代だったので、弱者は置いてきぼりだったのかな?
発達障害が小さい頃からケアされていたら兄にも違う未来があったのかな、と思うと、時代が悪かったなんてだけでは不条理で、なんか切なくなってしまいます。
近年、NHKで発達障害の特集をいろいろ放送していましたが、私は誰にも言えないけど、思い当たることばっかりで、
何十年もほったらかして来てるけどいいのか?
どうやって生きていくんだ?
どうするつもりなんだ?
と、両親に対するちょっとした苛立ちがありました。
これで、ほんの少し明かりが見えてきた・・・かな?
父が全部背負っている
母の脳梗塞を機に父の重い腰は上がったわけですが、父にも言い分はたくさんあります。
まず、父の実家の処分問題が父に大きくのしかかっていました。
祖父が亡くなってから20年以上経ってやっと数年前に解決しました。
境界線のことで裁判にまでなって、弟妹さん達はあまり協力してくれなかったみたいで、父一人で奔走したようです。それに関する愚痴も毎回聞かされます。
自営の仕事も76歳まで頑張っていたので、長兄のことをどうするかは後回しだったんですね。
やっと、実家の処分も仕事の後始末も終わって、さあ、夫婦でゆっくり温泉でもって時に、母が腰椎圧迫骨折になり、介護を経験してからの、もう大丈夫だとなった矢先に脳梗塞です。
そして、現在、在宅介護1年半。
そりゃもう、一人で抱え込んで大変です。
でも、父は自分の思う通りでないと気が済まないので、協力する気が失せてしまいます。
何を言っても提案しても、まず否定されます。
それで、愚痴ばっかり言うのですから、どうしても私は逃げ腰でした。
最近、いよいよ、母のおむつ替えが酷くなってきたようで、話を聞いていると、こちらが苦しくなります。
やはり、もう少し、私が協力する方向で考えていかねばなりません。
とりあえず、月に1週間実家に帰りたいと、パート先の店長にお願いしました。
事情は普段から話していたので、気持ちよくOKしてもらいました。
一つ壁を越えました。
こちらの家のことは、義母にお願いするのですが、義母も今のところは体調も良いので大丈夫そう。
3年前に胃の手術したり、骨折を2回も経験したり、顔面神経痛になったりと一年の間にたくさんの災難があったのですが、私の両親より10歳以上若いので、まだまだ甘えさせてもらっています。
父も次男に会いたそうだったので、高校が休みになり次第、一緒に行ってきます。
それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~
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