今日、久しぶり(2週間ぶりくらい)に実家の父から電話がありました。そろそろこちらからしないとなと思いつつ、少し億劫に思ってしまい、先延ばししてたところです。要件は他愛もない母の近況や、愚痴など、私にしか言えないようなことです。どこのご家庭にも様々な問題があると思います。私のこれから先の人生の一番の懸念材料『実家問題』を綴ってみます。
私の実家の家族(2022・2・1現在)
父(84歳) 町工場で自営業を営んでいた。78歳で工場を畳んだ。
母(85歳) 専業主婦 現在は要介護5の完全寝たきり 在宅ケア中
長兄(59歳) 無職 父の仕事を手伝っていた。何かの障害を抱えていると思う。今でいう発達障害。大学時代に心の病気で2年間休学。足掛け7年で卒業。
次兄(57歳) 実家暮らし。いわゆる職人さん。10年くらい前に実家に戻ってきている。未婚。
すべての始まりは母の腰椎圧迫骨折
数年前の2月、母が布団を押し入れに入れようとした時、腰が「ぐきっ」となったらしい。
今思えばその時救急車を呼んでいたら、入院もさせてもらって悪化することもなかったかもですが、当時は父もそういうことに疎くて、何とか自分でしようとしたみたいです。お医者に連れていき、とにかく安静にするしかないとのことで、自宅療養となりました。
そんな生活になって2,3日してから、次兄から私にLINEがありました。すごく驚いたと同時に『ああ、私にもとうとうそういう時が来た』と思いました。『急に仕事休めないし、真冬でドカ雪がいつ降るかもわからんから行けない』という、何とも自己中なことを思ったのでした。
とにかく父に電話して状況を聞くと、まあなんとかやれる、的な感じだったもんだから、急に仕事を休むことに躊躇してしまい、職場の人に迷惑がかかることを恐れ、また、2月は大雪の季節でもあり、子供を高校まで送ったり部活の試合などの送迎もしないといけないし、今は帰れないと言ってしまいました。
こうして、改めて文章に書き起こすと、自分がすごく酷い、冷たい娘であることがわかります。常日頃から母に、『なんかあったら頼むで、女の子はあんただけなんやから』と言われ続けてきたにも関わらず、自分の都合ばかり考えてしまい、すぐに帰りませんでした。だいたい、母にそう言われるたびに『うん』とは言うけど、心では、『遠いし自分の家族を放置して実家に行けるかなあ?』と思ってました。
父は、大丈夫や、何とかなると言ってくれたので、そうなんだ、と思ってましたが、父は私に迷惑をかけたくない思いでそんな風に言ったんだと思います。本当はすぐにでも来てほしかっただろうなと。結局それから大変な1か月を過ごしたようです。
まず、母は激痛過ぎて、トイレに行けない。おむつで用を足して1か月程寝たきりで、その後やっとトイレまで這って行けるようになり、父が何とか座らせるという状態。それに、動けないもんだからお腹も空かないのでまったく食欲がなく、ゼリーとかアイスとか、たまに豆腐を口にしてただけみたいです。
やっと私が帰省
そんな生活で1か月以上経ち、3月になり私もようやく5日間休みもらって、子供にも自力で学校へ行くように言い、やっと実家に帰ることができました。
母はすっかり衰えていたけれど頭はまだしっかりしてました。『お父さんがおらんかったらどうなっていたかわからん。お父さんのお陰や、ありがたい、ありがたい』とばかり言ってました。ここで、兄たちのことまで詳しく書くとさらに長くなってしまうので控えますが、長兄は何もせず(何もできず)次兄は仕事が忙しすぎるので、たまに買い物してくれたり、父に手を貸すとかはしてくれてたようです。私がいなかったひと月が本当に地獄のようなものだったでしょう。
母は、痛みから片方だけ向いて寝てたので、すぐに褥瘡(床ずれ)ができ、皮膚に穴が開いたようになりそれはひどい状態だったらしいです。整形外科の先生が訪問に来てくれて処置をしてくれたからよかったものの、どこかに入院させてもらえてたら、後の体調ももう少し良くなってたかもしれません。
私が帰省して翌日にそのお医者さんに車いすで連れて行き、1か月ぶりにレントゲン撮ったら、さらにもう一か所圧迫骨折してることが判明したのです。ずっと寝てたのと、栄養を全然とってなかったので骨がさらに脆くなり、体の重みで背骨が圧迫骨折してしまってました。栄養をしっかり取ることが何より大事だと言われました。
いろいろと先生とお話しして、市役所に相談して介護認定もらったらいいとアドバイス受けました。私も父も本当に無知でそういう福祉を使うという頭が全然なかった、情けない思いでいっぱいです。なんか、真面目に、人に迷惑をかけないようにと何でも父一人でやってたことが裏目に出たのかと思ってます。先生は『お父さん、本当に大変だったでしょう。こんな状態の人、家で見るの無理やわ」と言われてました。
後悔でいっぱい
そんな遠慮みたいな、自分で何とかするっていう父の思いと、私がすぐに駆けつけてたらこんなに酷くならなかったかもなぁ、という自己嫌悪で後悔しかありません。
その反省から、すぐに市役所を訪れ、介護認定の手続きをしてもらうことになりました。けれども、そんなお年寄りはたくさんおられるので、役所の方が訪問してくれたのはさらにひと月後のことです。介護認定が下りないと、デイケアサービスを受けられないのですが、お試しで体験をさせてもらえると教えてもらい、私の居るうちにと、すぐに一回だけデイケア施設に行けました。
デイケアサービスとは
さっそく、朝お迎えに来てもらい、車に乗った母を見送るのは辛かったです。母の不安な気持ちが手に取るようにわかったから。父と私もケアマネさんとお話しするために後から施設へ行きました。そこで見た母は、知らないお年寄りの方々に交じってテレビを見てるようでしたが、その背中がとても小さく母の不安そうな顔を見ると、私の方が泣きそうで胸がギュッと痛くなりました。でも、とにかく、お風呂に入ってないので、とてもありがたかったし、職員さん皆親切で明るくて、いろいろ話聞いてくれて、こんなにありがたいことなんだと思いました。
その後、母は食事もよばれて3時ごろに帰ってきました。驚いたことに、とても楽しかったと言いました。食事も美味しく、周りの人ともいろいろ会話を楽しんできたようで、本当に私も安堵しました。母は元来人見知りではなく、気さくに人と話せる人だったと思い出しました。
そして、一か月ほどしてから要支援2という判定をもらい、無事に?デイケアサービスに、週2回通えることになりました。行くうちに気の合う方もできて、それは楽しそうでした。軽く体操したり、塗り絵をしたり、歌を歌ったり。時々電話で話す母はいつもデイケアのことを話し、週2回とても楽しみだと言ってくれてました。
親が老いるということ
年老いた親を持つ身としては、こういう、介護に関するサービスなど何も知らないって、罪です。母が家で寝たきりの時に役所に相談すればよかった、もっと早く知っていれば、もしかして、入院させてもらえたりしたかも?、要介護認定の待ち時間の無駄さなど、悔いることばかりです。このことは、親がいる子供なら年齢関係なく全員知っているべき常識になればいいなと思います。
NHKで、こういう親の介護や俗にいう”8050″問題を扱っている番組は見ていたのですが、やはり他人事、父母もいつも『大丈夫、体調も元気や』と言っていたので、なんとなくそんな気になってしまっていたのですが、そんなはずないんですよね。絶対に老いて病気や寝たきりになるんですよね。90歳で元気に畑仕事してる、などのテレビを見たりするもんだからその気になっていたけれど、そういう方の方が稀なのかもしれません。
この先のこと
母はこの3年後に脳梗塞で倒れることになるのですが、思い切って、ブログに書いてみて、今の実家の問題と私の気持ちを整理することが出来ました。すぐにでも父母に会いに行きたくなりましたが、現在のコロナ禍ではそうもいきません。来月には行きたいのですがどうなっているでしょうか。
長々と読んで頂きありがとうございました。
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