父が亡くなる10日前くらいに、母の施設のケアマネさんに聞いていました。
もしもの葬儀の時に母を連れてきてもらえるか?
快諾していただけたので、どのタイミングがいいかなあと、ぼんやりと考えていました。
朝に父が亡くなり、あれよあれよという間に夕方になり、母が心配だったので様子を見に行きました。
まず、施設の看護師さんに母は父の死を知っているのか聞いたら、誰も言ってないとのことで、そっか、じゃあ、私の口から言うのかぁ、と、緊張が走りました。
お母さん、今日は大事な話があるねん。
なんで泣いてんの?
悲しいお知らせやで。
お父さんがな、今朝亡くなってん。
死んでしもたよ。
ええー、なんで?
肺がんやって言うてたやん。
相当悪かったんよ。
もうおらんようになってしもたよ。
お父さん、頑張ったからな。
お父さんがいちばん頑張ってたからな。
私が施設の方と話している間も何度も『お父さんがいちばん頑張ってたから』と繰り返す母。
ちなみに、母のセリフはこんなにはっきり喋れたわけじゃなく、回らない舌と開かない口をなんとか動かして『お父さんがいちばん頑張ってたから』と言い続けていました。
認知症が進んでいる母ですが、この時ばかりは、昔のことが蘇っていたのかな?涙は見せませんでしたが亡くなった、いなくなったということは理解したようです。
母の頭の中はきっと、若い頃からの二人で苦労して働き続けてきたことが去来したに違いありません。私たち子供には想像もできないくらいの苦労を乗り越えてきたことでしょう。
現在、おびただしい量の写真を見返しているのですが、若かりし頃の父や母がたくさん出てきて、二人の歴史を顧みたり、家族で出かけた海水浴の写真を見たりして、改めて、父が家族のために頑張っていてくれたことに感謝感謝です。
さて、翌日曜日(お通夜当日)の午前、自宅に母を連れてきてもらい、家で父と対面させてあげることができました。
本当はこの日に一時帰宅して会う予定だったのですが、たった一日違いで間に合いませんでした。
実は、前週の日曜日に母を帰宅させてもらった時、いちおう会うことは出来ていました。
対面というかお互いチラ見だけでした。この時もう父は動けなくなっており、母も一定方向しか向くことが出来なかったのでちゃんと顔を会わせられなく、せっかくの対面がそっけないものになっておりました。
父は『こんなもんかね?』と悲しそうに言っていたので、次こそきちんと向き合って会えるようにベッドの位置を変えて、車いすに寝た状態の母でもお互い対面できるように準備していたのですが、一日早く父は逝ってしまいました。
あれが最後だったなんて、父の悲し気な背中が目に焼き付いています。
あんなに母のことを案じていた父に母の顔を見せてあげれなかった。
後悔が募っていたので最後のお別れだけはきちんとさせてあげたくて、ケアマネさんには無理をお願いしました。
告別式当日のお経の雰囲気を聞いてもらうことと出棺前の棺にお花を入れることを母にしてもらいたいと伝え、頃合いを見計らって連れてきてもらうことにしました。
喪服は上着だけ預けておいて、当日は上から羽織って来てくれました。
思ったよりお経が早く終わってしまい、母にお経を聞いてもらうことはできませんでしたが、棺にお花は入れてもらいました。
ところが、なんだか母の機嫌が悪く、背中痛い、さすって、かいてばかりを言ってました。
そして、花を持たせても入れては出しを繰り返し、こんなに酷い状態になってしまっている母に驚き、この先の介護が不安で気持ちも暗くなるばかりな私でした。
ケアマネさんや看護師さんに『お父さん、ありがとう』という練習をずいぶんしてきてもらったようでしたが、何も言えずじまい。告別式の雰囲気とみんなが母を見るので緊張したのかな?お父さんの亡骸を見るのが嫌だったのかな?とおっしゃっていました。
最後の見送りまで母はこんな調子で心境とかはまったく読めなかったけど、施設に帰ってからは夕方までずっと『お父さん、お父さん』と呼んでいたそうです。
8月初めに四十九日を迎えるので、それまでは施設で預かってもらい、その後はどういう風に母を看ていくか兄妹で話し合いながら、母が幸せに暮らせるようにしていきたいと思っています。もちろん、みんなに負担がかからないようにしながらね。
それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~
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