針の刺し替えを繰り返す母

実家問題
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昨日は久しぶりに母のところに行きました。

中心静脈栄養の点滴の針を差し替える処置の最中でした。

中心静脈栄養の点滴の針を右太ももの付け根から入れていたのだけど、お盆の頃に何度も『覚悟しないといけない』くらいに高熱を繰り返していたのは、そこから悪さをする菌が入ってのことであろうという結論です。

お盆の頃しばらくは中心静脈栄養をストップして電解質輸液(ポカリスウェットのような水分)だけの点滴にしていました。

そのおかげで、熱も出なくなり、右太ももからの中心静脈栄養に復活したら、そのせいかはわからないけど、私が富山にいる間にまた熱が出たんだって。

それで、左太ももに針を入れ替えることになったそうです。

その前は上腕から入れていました。

右上腕に入れて数か月で熱を出し、左上腕でまた数か月で熱。

そして右太ももからもダメになったので、とうとう最後の砦の左太ももにということです。

これを繰り返して、そのたびに針を刺す場所を替えてきたのですが、ここがダメになったらもう針を刺すところがありません。

普通は鎖骨辺りからも入れれるんだけど、母の場合は自分で引き抜いてしまう可能性が高いので無理という判断なのです。

酸素吸入の管もすぐに外してしまいます。『ペンッ』と放り投げてしまうのです。まあ、元気な証拠ですね。

👇中心静脈栄養を否定するお医者様の動画

母に胃ろうするなんて絶対に嫌だと拒否し続けてきた父で、私も胃ろうは反対と思っていました。

この動画を見てショックでしたが考え方も方法も人それぞれ。この道を選んでしまった我が家ですから、突き進んでいくしかありません。



訪問医の院長先生はこの中心静脈栄養点滴の管を通す処置がとても上手だそうですが、もう若手に引き継いでいかなければならないのか、阪大からの若手の研修医?の方が処置をされていました。

訪問医療ってこういう若手の先生の訓練の場になっているなあと毎回思います。

父の時も、亡くなる10日前くらいから食べられなくなって、中心静脈栄養点滴になりました。

院長先生も来られてたけど、実際されるのは若手の先生でした。

初めてだと聞いて『実験台か』と思いましたが、仕方ないことなのは分かっています。後進を育成しないと未来はないですからね。

そういえば亡くなった後の死亡診断も若手の先生が来られて、少し残念だったんですよね。

顔なじみの、父が尊敬していた院長先生に来てもらいたかったんだけど、これからの医療界のことを考えたら、若手の先生にどんどん経験を積んでもらわないとです。

このかかりつけの訪問医療のクリニックは院長先生以外は阪大からの研修医?の先生たちがいろいろ来られるので、なじみの先生にはならず、院長先生だけが顔見知りで他の方は入れ代わり立ち代わり勉強に来ているって感じ。

終末期医療って、特に訪問となるとやってる病院が少ないし、どうしても大きな病院からの派遣?の先生たちで何とか回しているようです。

我が家はこの一軒しか知らないので、訪問医療界のことを偉そうに語れるほど経験があるわけじゃありません。

コロナのせいで病院にお見舞いに行けなかったのが発端で母を在宅に切り替えたのですが、こういう人たちが増えてきて、訪問医療も訪問看護ステーションもひっ迫していると、ドキュメンタリーで見たことがあります。

この前書いた介護士の友人も言っていました。彼女はサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)で常勤で働いています。

知り合いに頼まれて空いた時間で訪問介護も手伝っています。1日に一人で8軒とか回っているのを聞いて、そんな状況を見てたら手伝わないわけにはいかないって、その人が倒れてしまうからって。

『この仕事が好きだから』と言って自分のやれることはできるだけやるという友人を見ていて、うらやましくもあり、ギリギリで回っている世界で私には無理だと思ってしまったり。

仕事探しもネットを見ているだけだし、素人を雇ってくれるところなんてないしなぁ。



さてさて、母に『痛かったやろう?』と聞くと、こくんと頷くので、言ってることはよくわかってるんです。認知症なのか何なのかよく分かりません。そんな診断をする必要もないしね。

ただ、毎月の請求書に『認知症加算』という項目があるからそういうことなんでしょう。

大変な思いをしている母ですが、体調は安定していて相変わらず背中をさすってあげたらおとなしくしています。

私は日々背中をさすりに、母のもとに通い続けるだけなのでした。

それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~

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