先週の息子の就職準備の記事で、1泊だけ実家に行くと言って以来、めちゃくちゃ忙しかったわけではないのですが、寮生活のための買い物や、考えなければならないことを優先していたら、どうもブログを書く頭脳にならず、サボっておりましたm(__)m
実家の母の容態
『喉が痛い』と母が言い出してから熱が上がったり下がったりを繰り返し、2週間ほど経ちましたが、やっと落ち着いて来て微熱がたまに出る程度になりました。
栄養補給法が肩からの中心静脈栄養点滴法だったのですが、高熱の原因がわからず、点滴のチューブから菌が入った可能性も考えられるので、いったんそれはやめて、熱を下げる抗生物質を点滴するというのだけが10日間ほど続きました。
そんな最中に私は次男を連れて1泊だけ帰りました。
家に入ってすぐ母に
お母さーん、帰って来たよ
○○○連れてきたよぉ
おばあちゃん、大丈夫?
母は、うっすら目を開けて、ちらっとこちらを見て『大きなったなぁ』と口を動かすのが精一杯。
また目をつむってしまいました。
なんと弱ってしまったことよと思い、息子もどうしたらいいかわからず感動の対面はそれだけになりました。
寿命が尽きるのが近づいて来ていると強く感じました。
とにかく会えてよかった(´ー`)
3人でデート
母が熱を出してしんどそうなのをよそに、父にも申し訳なかったのですが、夜は子供たちと外食しました。
久しぶりに次男が大阪に来たので地元駅前で何か美味しいものを食べさせてあげたいと思い、長男も呼んでお好み焼きを食べに行きました。
朝ドラ『舞いあがれ』でお隣がお好み焼き屋さんという設定で、関ジャニ横山君が美味しそうにコテで直接お好み焼きを食べているのがうらやましくてやってみたかったのです!(^^)!
私が小学生頃まではコテで直接食べるのが普通だったような気がします。高校生くらいから世の風潮がお皿に取ってお箸で食べるようになっていったような?
三つ子の魂百までと言いますが、コテで直接食べる方が美味しく感じる(´ー`)
焼きそばに焼きうどん、とん平焼き・牛タン焼き等々も食べたのですが、写真は👆こんなのしかありません。あいかわらず、写真撮り忘れ&途中で思い出して撮るの巻きです。
コテ?テコ?呼び名はどっちやったっけ?
ちなみに、お好み焼きをひっくり返すときに使う金属の返し器?の呼び名をどう呼んでいたか分からなくなりました。
ちょっとググってみましたら、【Jタウンネット】というサイトの記事で検証されていました。
おおむね、東日本が『ヘラ』、西日本が『コテ』だそうです。
ただし、関西は『テコ』派もいて、私はその時々で適当に『コテ』って言ったり、『テコ』って言ったりしてたような気が?どうでもいいですね(^-^;
さらにどうでもいいかもしれませんが、富山は『ヘラ』が多いそうです。聞いたことないけど。
また、西日本は『コテ』が多いのだけど、お好み焼き(広島焼き)の本場広島県では圧倒的に『ヘラ』だそうです。
私としては『ヘラ』だなんてめちゃくちゃ違和感なんですけどね。『スコップ』と『シャベル』問題ぐらい違和感ですΣ(゚Д゚)
この話題はこの辺にしておきます(*´з`)
高3息子の後悔
美味しいものをお腹いっぱい食べた後、親子ですることなんてなく、そろそろ帰ろうかと思ったら、
もう帰るの?
ええーっ?カラオケでも行く?
そういうことじゃない。
カラオケなんか。
俺歌知らんし。
ああ、そっかぁ。
○○○はインドア派で外出ないもんなあ。
ちょっと都会慣れした長男が『どの口が言う?』という感じです。
長男も高校生の時は超インドアでずっと家でゲームしてたのに(笑)
コロナ禍で可哀そうな大学生活を送っていたのに、今ではそれなりに楽しんでるのかな?根掘り葉掘り聞くわけにもいかず、でも少しだけ安心しました。
次男はちょっと悲しそうでした。都会(私の地元は大阪では全然都会じゃないけど)に出れば、夜はこんなにお店がいっぱいキラキラしていて、みんなお酒飲んで楽しそうにしているんだなと。
自分の選んだ道が、この先もずっと、田舎の工場で物を作って3交代制で働くだけなんて、なんも面白いことないんだろうなと。
友達みんな都会に出て行くのはこういうことに憧れるからなんだと今さらながら分かった気がするだって。
若者が都会に憧れるのはとてもよく分かります。
子供たちが小さい時は大阪の繁華街にも連れて行ってあげていたのですが忘れていたみたい。
この期に及んでそんな気持ちに目覚めてしまっても後の祭り。
遊ぶために大学行くなんて私は反対だと言ったし、本人もそんな無駄なことしたくないと言い、早く働いて稼ぎたいということで、就職の道を選んだのです。
せっかく就職できたんやから、早くお金貯めて、
都会じゃ出来ないこといっぱいすればいいやん。
スキーとかキャンプとか登山とか
カッコいい趣味、気軽に体験できるしサイコーやん。
慰めにはならないかもしれないけど、みんなとは違う道を歩んでいくんだけど、別にいいじゃん!
自分で選んだ道を精一杯歩いてほしいし、途中で道を変えることもまったく問題ないと言ってあるので、人をうらやんだりはして欲しくないなと思います。
結局母は?
話しがだいぶ逸れてしまいました。
母の熱が出だしてから2週間ほど経ってますが、昨日父と電話して聞きました。もうほんの微熱程度になったそうです。
栄養は今度は太ももの付け根あたりの太い静脈から濃い栄養分の点滴を入れ始め、これで様子を見ていくようです。
とうとう父が言いました。
これはもう延命治療やな。
命を先延ばししてるだけや。
病気を治そうとしてはくれんのや。
86歳にもなる寝たきりで飲まず食わずな母の何の治療を望むんでしょう?
どこをどう治せというの?
結局、以前からずっと言い続けている父の愚痴をまた聞くだけの私。
お医者様から『入院」という言葉も出たそうですが私は反対しました。
入院したって付きっきりで側に居れるわけじゃないのに、母を不安な気持ちにさせたくないし、床ずれがまたひどくなるかもだし。
もう、最期まで家で看るしかないでしょう。
熱が下がってきてから、母の『トイレ替えて』というお経が再開されたと父は言ってます(笑)
高熱だった時はおとなしく静かだったのに、またぶつぶつと言い始めたので寝られんようになったと。
4月になったら、次男も独立するので、そうしたらもっと父の手伝いをしに帰れるようになるかな?
それまでなんとか持ちこたえて欲しいと思います。
それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~(長くなってすみません)
にほんブログ村
にほんブログ村
👆よろしければ応援クリックお願いします
コメント