今日は、母の出生地(福井県のとある町)の役場から除籍謄本が届きました。生まれてから5歳までの戸籍が不明だったのですが、ありました!
大阪の法務局の方は『もしかして無戸籍状態だったのかも?当時はよくあることです』とおっしゃていましたが、ありました。
100年くらい前?の謄本は汚い文字で雑に書いてあるし、その戸籍に入っていた人が全部で22人載っています😲
それを読み解くと、母は父方の祖父(私のひいじいちゃん)の家で生まれ、たぶん5歳まではそこで育ったようです。母の両親(私の祖父母)は籍を入れてなく、苗字もそれぞれ違います。
で、母のお父さんは母が5歳の時に愛知県のある人と結婚し愛知へ行ってしまったようです。その人のところに婿養子に入ったみたいで苗字が変わっていました。
母の祖父(私のひいじいちゃん)の苗字が聞いたこともないとても変わった苗字で、ここで披露できないのが残念です。全国でその地方にしか居なく現在では20名ほどのようです。某サイトで調べた結果なので本当のことはよく分かりませんが。
その謄本の中には天保や嘉永生まれのご先祖様も載っています。
私がスターで有名人ならNHKのファミリーヒストリーでご先祖様を探してほしいものです(*´з`)
まったくの想像ですが、母の両親は結婚はしていなく、でも祖父(ひいじいちゃん)には一応認められて、母は戸籍には入れてもらえた。5歳までそこで暮らしたが、お父さんが愛知県の女性と恋仲になったのか家同士の取り決めかで、愛知へ婿に行ってしまった。仕方なく母のお母さんは幼い母を連れて自分の実家に戻った。そして母は母方のおじいちゃんの戸籍に入りそこで育てられた。
母に聞いていた話だとおばあちゃんは別の人と結婚し妹も生まれた。
どれくらいの期間かはわからないけど、おじいちゃん(私の母方のひいじいちゃん)と母との二人暮らしで、ものすごく貧乏で小学校の頃はお弁当が持って行けなくて、昼休みは外に出てプラプラ時間を過ごしていたり、『貧乏人!』と石を投げられたこともあったりしたそうです。
そして母のお母さんはその男性とも離婚して妹を連れて帰って来て、おじいちゃん、お母さん、母、妹の4人暮らしをしていたけれど、中学を卒業して大阪の玉子屋さんに勤めるために家を出たそうです。
そこでは、その家の家事をしたり卵を売ったりしていたと。どのような苦労があったのかは聞いていませんが、二十歳前くらいに父が勤めていた工場に転職して出会ったそうです💗
もっともっと、母の若かりし頃の話が聞きたかったな。
今さらなにをどう思っても、もう聞くことはできない。まだ話が聞ける人はぜひ聞いてみて下さい。
自分という人間はご先祖様が必死で生きてきてくれたおかげで存在しているんだなあとつくづく思い知らされます。興味深くて面白くてありがたいことです。歳を取るのも悪くないですね。考え方が思慮深くなったような気がする。というか、若い頃は本当に自分のことしか考えないあほ娘でした( ̄▽ ̄)
こうして今、私が幸せに暮らせているんですから、母もきっとそれなりに幸せだったんじゃないかなと思いました。戸籍謄本だけ見たら複雑で不幸だったのかな?とか想像しましたが、誰もがそんな時代だったでしょうし、今の私がひどい目には合っていないのですから、ご先祖様に守られているということでしょうか?毎日ありがとうを言うことにしました。
こんなこと父母が亡くなるまで考えたことなかった親不孝者でしたので、これからは手を合わせて感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。
それでは今日もありがとうございました(@^^)/~~~
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